忙しさは重なるものである。
生涯のうちでこれ以上忙しいことがないだろうと思い、
かつそれが更新されるという日々が、ここのところ毎年続いている。

明治神宮での上映を終えてから、いくつか広告の仕事をこなし、第二子が産まれ、これから3年目のキャラバンやらいくつかの大きな仕事やら、産土のwebづくりやらなんやらの新展開やらを控えている最中、傍目には無謀に、いや己自身としてもそうには違いはない感じで、産土プロジェクトの本拠地となるべきTeehaus(ティーハウス)という建物のリノベーションに取り組もうとしている。ある助成金を頂けることになり、貧乏人の若造の夢想が現実化する一歩を踏み出すことができた。

名前が示す通り、ここはかつて製茶工場であった。今や廃墟の様相を呈してきている粗雑な建造物である。川沿いにあり、年一度だけ製茶の用途で使用するため、諸々のしつらえは急ごしらえでとりあえずな感を拭えないような構造である。色々いきさつはあるのだが、これを何かにせんか?と自分がずっと追っている取材対象者から頼まれた時、さすがに「無理だ」という意識が九割方のぼってき、それでも断れずただ逡巡していたのだが、ある日を境にしてそれが自然に変わった。

ここをぶち壊して埋立てて駐車場にするという話しを聴いて、この土地の前に立ってみて、「それはないだろう」と思って何かしようと思った。山と川をそのまま感じれる雰囲気が心地よかったのがずっと隅に残っていたこともある。なんだかんだで俺がやるしかないと思った。それが素直な最初の動機である。村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』という不味い本の中で、飲食店を作る時にその場所の前でずっと佇む男の話しがでてくるが、まあそんなところだ。見ず知らずの他人の死んだ爺さんが死ぬ間際まで再開しようとしていた製茶工場の機械はオンボロで使えなかったけれど、でもその土地に染み付いた残像のようなものを感じる。なぜか一緒に何かをやっているような気がする。考えてみれば自分はずっとこのような感覚があった。死者や遠くの先祖とともに二人羽織で何かをやっていくような感覚というべきだろうか。

しかしただ一人で抱えていてもおそらく何にもできはしない。この町にいる多くの移住者の中の若造と共に、余所者としてやはり「場」がないということと、ある種のクリエイターとして、公共の場では発揮できない何ものかをぶつける「場」を作れないかと思っていた事もあり、まあなんとかなるだろうとタカを括っていたこともある。

そんなことを考えながら、やはりふとした合間に出来るんだろうかと不安が襲ってきたり、逡巡したりしていた。そんな中で前職を最低にだらしなく無様に辞めた「根性なし」のK君がこのプロジェクトを一緒にやることになった。そしてイギリス人のルーファスが手伝ってくれる。「根性なし」は、他にもたくさんどこかにいるはずだが、自分にコンタクトしてくることは今のところない。色々な人間が興味のある風を言ってくるが、本当に何かを起こす人間というのは実に少ない。新しいことを始める度にいつもそういうガックリな感覚というものを引きづりながら進んで行く。

 

映像作家に職能があるとするなら、それは恐らく「顔」についての峻別や洞察にやや常人よりも優れてくるということがあるかもしれない。僕がこの町に来てからの4年間で、この町を訪れる人々の「顔」は大きく変わった。威丈高、高慢、野心、誇大といったような「顔」が、心地よい或種のプリミティブな空気に覆われていた当たり前の生活の中に多く侵犯するようになった。またその状態へ以前は違ったのに、推移してしまったような「顔」も散見される。僕はそのような「顔」には興味がまったくなく、この地域で日々出会う人たちから何かを学べるよう、そしてこの場づくりを通じてこの町に住むということへの恩返しがしたいというのが一番大きなところである。(下手をすると、いや確実に自分もここに来て暫くは、そのような「顔」を晒していたに違いない。)

 「産土」という映画を何の因果か撮るようになった自分は、その土地のそのもの素晴らしさ、その辺りにいる爺さん婆さんの壮絶な生や技量や知見というものに日々刮目せざるを得なく、古色蒼然というかただレトロな町の高齢者ばっかりという状態が、かえって耳目をおっぴろげて這うように教えを請い続けなければならないような緊張感ある「前線」へと変貌するという経験を思えばずっとやっているように思うが、ここで述べているような「顔」たちには、そのような緊張感等なく、自己の趣味性や、欲望の中にあり、とても何かを学ぼうという「顔」ではない。それどころか却って幼稚な己を披瀝して失笑を買っていることすら気づくこともない。

己を変容させる可能性が、古い物事や農山村の暮らしの中にあるからこそ、自分はそれを信じて明日を歩いて行ける。「公」の中にテーマも本質も無限にある。くだらない自己を延命させるだけに終始する「顔」は、とても醜いということに気づかないのだろうか。なぜ「公」に向ってチャレンジしないんだろうという疑問を抱えながら、僕はこれからも忙しさの質量を増加させながら、いつかの死へ向ってチャレンジし続けることだろう。

 人前に立ってしゃべったりすると、自分の意図や提言を求められる。色々と批判も罵倒もしたいこともご承知の通り抱えているがそういうことには一切蓋をし、「これが俺の意図であり提言です」と言えるようなことを、ただひたすら実行に移そうと思う。日月はバックできねえ、のだから。

 

 

 

14 9月 ’14 mileblog

kai-jingu_blog

来る8/10(日)に明治神宮、参集殿で拙作の上映+座談会イベントを行います。

「現在(いま)」を知るということ」と題しまして、
震災後、人はどのように生きるべきなのかということを
民俗、そして祈ることという論点から考えていきたいと思っております。

映画『産土ー壞ー』の東京初上映に加え、
素敵なゲストをお呼びいたします。

二年前の最初のシンポジウムでご登壇頂いた、
民俗学者・野本寛一先生と、羽黒山伏・星野文紘さんの
夢の競演を皮切りに、明治神宮から今泉宣子さん、そし私の座談会、
司会は元福島テレビの長久保智子さんにお願いできました。

来場の方には映画のパンフレットを差しあげます。

先着250名様までとさせて頂きますので、
お早めにお申し込みください。

 

日時:平成26年8月10日(日)13:30~17:00(13:00受付開始)
場所:明治神宮 参集殿
定員:300名
参加費:2,500円(税込)※事前予約制
こちらのサイトからお申込みください。(Facebookイベントページに「参加予定」にしていただくだけでは「事前予約」にはなりません。ご注意ください。)
http://ubusuna2014.peatix.com/

 

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サッカー日本代表の勝敗に、さほど関心を示さなくなったのはいつからだろうか。
たしかに、これまで僕はある途方もない熱狂に包まれていた感覚があった。手と額に汗を掻き、
多くの局面や展開に肝を冷やしては、選手の名と各種悪態を時折絶叫したものだった。

今、テレビをつければ夢の世界=ワールドカップが繰り広げられている。(多くは夜半だが)

そして我らが代表は世界の壁にまたしても阻まれようとしている。(二試合を終えて)
が、そんなことはどうだっていいのではないかという禁断の意識がもたげている。
腫れた第一蹠骨に湿布を貼りつつ、過去の記憶をかろうじてたどってみる。

98年のフランスで、今や解説者席に中年面を晒す城や中山や秋田らが歴史的初出場に顔を紅潮させながらみすぼらしい炎の刺繍のあるユニフォームをまとって無惨に散った時。はたまた戸田の真っ赤なモヒカンヘアーも懐かしい2002年に、柳沢敦が「急にボールがきた(QBK)」と言って失笑をかったのを酒場で見知らぬ人々と絶叫しながら目撃した時。そして2006年のブラジル戦で中田英寿が「旅人」へと属性を変えながら仰向けで号泣しだした時…それらの時、場面の只中で、おのれの感情はやおら一喜一憂し、俄にアップアンドダウンしたものだった。

…僕にとってW杯の季節は、丁度痛風の季節である。無論梅雨の湿気によるものだ。2010年の南アフリカ大会、失意とともに会社を辞めたばかりで、祐天寺の安アパートで尿酸値と血圧と各種分泌液の上昇による感情の狂奔にこらえつつ、テレビの一つもないその狭い部屋で、彼女の携帯電話のワンセグモードから我らが代表が決勝トーナメントへと進む様を目撃したのであるが、しかしかつてのような情熱が身体をつんざくことはその時点ですらなかったのかもしれない。しかし気怠い朝の寝床のように、まだ熱狂から醒めたくはなかったのかもしれない。(それよりも痛風の鈍い痛みがつんざいていたこともあるのだが)

長々と書くのも気が引けるので、あっさりと終わりまで書き上げよう。

 

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22 6月 ’14 mileblog

piano : Harumi Nomoto / fretless bass :  Ryoji Orihara / drums : Sohnosuke Imaizumi

Action Paint : Keiichiro Furukado / Camera assistant : Taigo Kawaguchi (NMP) / Special Thanks : Plat Ease

Camera & directer,editor : Mile Nagaoka (NMP)

 

友人のピアニスト、野本晴美さんに依頼され制作した映像です。

今となっては数少ない東京時代の友達で、ピアニストとしては知る人ぞ知る存在。

雨の表現などにどうしても120Pを使いたかったので、プラットイーズさんにREDをお借りしました。

撮影場所は神山のお茶工場。

途中のカラフルな部分は、アーティストの古門圭一郎さんに実際にアクションペイントをしてもらい撮影しました。

映像は他に3バージョン程あり、また順時公開していくのでお楽しみに。

 

15 5月 ’14 Client Works

MILE NAGAOKA 2011-2014 from Mile Nagaoka on Vimeo.

 

「俺は「地域」という浮ついた言葉が大嫌いだ」ということに自覚しだしてから、まだそう間が経ってはいない。それは、或種の幻想や逆転したコンプレックスが吐く言葉であり、「地域」というものの実態そのもの、そしてそこに住まう人々は捨象されているからだ。

 

気怠さと旅行気分の陽気なロケで撮られた幾多の映像たち、そこに「人生」と「顔」が写っているか。

手仕事や悲喜こもごもが、写っているか。無論過剰なまでに切実なものを追う先達がいるのも知らんではないが、そういう人にどこかで遭うことは稀である。(あ、一度富士山を臨む早朝の山頂で、山の写真家と出会ったっけ)

 

自分が「産土」という言葉に込めた(いと思った)のは、そういった「地域」や手垢でギトついた「グリーン」等という言葉たちと、その無邪気な吐露者等への明確なアンチテーゼであった。

 

 

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21 4月 ’14 Client Works

sa-rah 2014 from Mile Nagaoka on Vimeo.

music by SonobeNobukazu
photograph by Hideaki Hamada
book design&edit&text Kanako Mori
filmed, edited by Mile Nagaoka
clothes design&coordinator:Chiaki Boshi

sa-rah.net

19 4月 ’14 Client Works

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去来する空しさを漉かせるには、

眼前の塵埃に身体を晒すことと、

日々の日常を精一杯乗り越えることだ。

 

 

 

18 4月 ’14 mileblog

ちわ、参です。

 

せっかく作った動画を貼ろうして、サムネイルが以下のようになってしまう場合がけっこうあります。

スクリーンショット 2014-04-08 20.10.58

 

今回貼れなくてけっこう困ったので調べてみました。

vimeoのフォーラムに以下のように。

 

スクリーンショット 2014-04-08 20.13.07

詳細は小生にはよく分かりませんが、URL情報のバグのようです。

解決策は簡単。

 

1.vimeoの設定ページに行く。

2.設定左にあるカスタムURLに行く。

3.任意のカスタムURLを適当に設定して、保存する。

4.そのURLをペーストして、FBに貼る。

 

以上とのこと。

さっそくやってみたところ、

 

スクリーンショット 2014-04-08 20.08.33

 

できましたー。

 

 

8 4月 ’14 mileblog

イエレポート case09 from Mile Nagaoka on Vimeo.

 

撮影・編修:川口泰吾

ディレクション:長岡参

 

イエレポート case10 from Mile Nagaoka on Vimeo.

 

撮影・編修:川口泰吾

ディレクション:長岡参

 

15 3月 ’14 Client Works

ようやく、映像の編修の追い込みと上映という緊張感から解き放たれたが、
こなさなくてはならない仕事は減らないし、同時に風邪もひきかけているような現在、
先日発表したパンフレットの文章を、また字数制限のために添削する前のものを掲載しておこうとおもう。
以下本分。

 

「丁度良さ」

なんとか二年目のキャラバンも無事終えることが出来た。

今振り返ってみると正直言って、そもそもこんな無謀な企画が実現出来るとは思ってはいなかった。
日本の山村漁村の現在を廻ると言うことは数秒で済み優しいが、実際に行くとなると大分事情は変わる。

身体を旅の中に預けると、それまでの意図や推論は消え去ってしまう。旅の時間は目まぐるしく、新奇な物事が入替り立替り登場するため、理解が追いつかない。撮影した素材を編集し終える段まで来て「ああそういうことだったのか」と首肯けることばかりなのである。

そうやって一年のうちの何割も古色蒼然としたものばかり見続けていると、ふと数時間で戻れる都会に戻って我に返ると、なんともいえぬ徒労感に襲われる。「限界」の老人の話しばかり聴いていると、都市の若い人々の多幸感の横溢がたまらなく遠く感じて、子供と老人の間に位置する自分自身の存在を見失いがちになる。

それでもなんとか幾つもの「今日」を歩いてこれたのは、多くの先達たる民俗学者や郷土史家、教育委員会の担当者等、何かの散逸を必死に守ろうとしている人々の熱意のおかげだったと思う。

無我夢中でしがみつき乗り切った初年度は、後から考えるともっとできたのではないかという想いが幾度も去来し自責の念が駆け巡った。その目の前に起きていた事象を把握するには、僕らは余りにも無知で門外漢であった。そんな自省とともに迎えた二年目は、機材もキャノンの5Dマーク2からマーク3になり、c300やRED等の高価な機材も現場に投入できるようになったりし体制も少しは整った(といえ以前脆弱には変わりがないが)。そしてなによりも本質的な事、その深奥に迫りたいと思った。本質…当世のドキュメントを作るものとして当然福島や原発を避けることはできなかったし、「森とともに生きる」と号した手前、森の本分を知らねばならかったし、恐れ多くも『産土』と題してしまった手前、それがそもそも何なのかということに答えを見つけねばならなくなった。無論、それは非常に困難が伴う旅であった。だがやると言ったからにはやらなければ恥ずかしいし、人生は一度しかないのだから挑まねば損というものである。それは僕なりの責任感というものなのかもしれない。

出立にあたり「スケッチ」という言葉が手懸りとして浮かんだ。幾多の場所で膨大な会話や風景を記録したところで、二時間程度の映画で語れるものは僅である。体制に限界があるので十全で執拗な取材もできるわけがない。ゆえに僕らが取れる手法は「スケッチ」ではないか。大事なのは、こちらの心の振幅を素描することではないか。それを芭蕉は「黄奇蘇新(こうきそしん)」と呼んだ。一切の瑣末を省けと。

一つ一つの出来事や人物は、大きな概論として括られることを拒んでいるように感じられる。が編集してそれを説明しようと知らず知らず編集者は概論を所望するようになる。今年は出来るだけ括るのをやめたかった。本作は幾多のスケッチのピースを土台にしたパズルのようなもになる筈である。ゆえにそれがどういう意味を持ったものとして像を浮かび上がらせるかは皆目分からない。このご時世にあってはスレスレのものをテーマとして設置してある。賛否が囂々と寄せられるのは覚悟の上だがそれを避けて通るようなもの等、後世に対して価値があるだろうか?とも思う。

前作は上映の為各地を廻っているが、上映後数人の観客の方から「現実は分かりました。で、どうしろというのですか?」「あなたは悲惨な事実を見せてどうしたいのですか?」という声を頂くようになった(大抵は団塊の世代の方だ)。たしかにもっと希望となるべきものを撮れば良かったかとも思ったが、浮かび上がったパズルから何を見るかはこちらの与り知る処ではなく、そこから省みてどんな行動を起すのかは、無責任にそう問うたご当人の問題である。…が、この場を借りて僕自身の考えを僅に述べておくことにする。それは「国土」から「産土」への価値観の顛倒、いや回帰ではないのか、ということだ。「戦後レジームからの脱却」などの語彙では本質を見失う、言うなれば明治レジームからの脱却を図らなければならないのではないかとも思う。僕らは明治への入り方を多いに間違ったのだと思う。

今から江戸時代に戻ることはできないが道しるべとなるヒントは、福島の紙漉職人西森さんが言うように、個々人が「調度良さ」を探すことではないのだろうか。彼が水と繊維との混じり具合を探求した果てに吐く言葉はとても重い。ただ過去を礼賛するのではなく新しいものと混ぜること。つまり、漉くこと。その漉き方が問われている。

この100年余り、金の追求で現在の姿、国土が出来上がったのだろうが、経済の持続的発展というフレーズも今や空虚である。そもそもを考えるべきだ。経済(エコノミー)という語は、オイコスとノモスという言葉の合成であり、家計や家、地域をどうやりくりするか、考えるか程度の意味である。つまり産土という語に近いのである。

天下国家を嘆いてだんまりを決め込むのではなく、或は様々な悪党たちの村を妄想してやおら批判にあけくれるのでもなく、ひょっとこのように裸になり森で踊ってみることの方が大事ではないのか。ようは一人一人が漉くという態度で生きることが大事なのであり、それが緩やかにまとまり、結状に展開していって欲しい。願わくは、その探求の初動の契機に「産土」の二文字が入っていて欲しい。主語を自分に住まう地域に変える事で、吐く言葉もとるシグサも変わるのではないか。

…自分の考えはもうたくさんだが、最後にもう少し書いてみる。

鹿児島の民俗学者から聴いたのだが、共産圏のラオスでは軍人が皆伐を断行しつづけているが、山の上だけは祟りを恐れ残すのだという。それをピ信仰という。はたまた今回の参加作家であるイギリス人のルーファスが、神山のどこかの山の上で散歩中、突然恐怖に襲われて廃れた神社に手を合わしたのだという。彼は無神論者である。…なぜそんな不合理なことを未だに人はするのだろうか。

旅を続けて思うことがある。

日本は、どこまでも開発され過ぎている。橋梁は海にそびえ山はトンネルだらけだ。原発の付近に立って見ると賛否を云々する前にどこか異様な、地獄と形容したくなるような感覚に襲われる。かつての聖地はガソリンスタンドに塞がれ、参拝日は忘れられ、山の神・田の神の繋がりも混線脱線し捩じ切れて森は廃棄物に覆われ尽くす。そこで素朴に思うことがある。

ーカミがそこにいるならなぜ怒らないんだろうか、と。

祟りは、まだあるにはあるのだ。いくつかの事例も聴いたし、自分自身ニソの杜の奥がに入り込んだ後、なにか変な感じがあった。たしかに羽田空港や大手町の将門の首塚みたいな例外はある。があちこちで産土は糊塗されつづけている。怒っているという話しも聞いたこともある。

だがカミはなぜ人間の開発を拒まないのかそれが不思議だ。僕の暫定結論は以下だ。人はそれでも、祭祀をしつづけているからだ、と。習合の習合を重ね、変遷を繰り返し、神と仏の首を相互にすげかえても、人は祈り続けてきたのだ。無論祈れば何をしてもいいというわけではない。が、何かを恐れ敬う気持ちがある限りにおいて、僕らは守られているのではないか。…産土は僕らをまだ見捨ててはいないのだ。

長岡参

 

12 2月 ’14 産土

 

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あらためまして今年もよろしくお願いします、マイルでございます。

編集でバッタバッタ、去年の疲れでボッロボッロな僕ですが、

息抜き的なことも含めて、久々の機材ブログを。

HDDがだいぶ容量がなくなってきたんで、迷いましたがポチっちゃいました。

ラトックシステム RS-EC32-U3R (約8000円)やっすー。

今使っているのが、16TBで5Bayの林檎派で買ったあんまよくないHDDなんですが、

やすさと、バックアップでいいやーということで、色々調べてこれにしました。

mac環境での映像編集って、未だにTundeboltか、USB3.0かって迷いますが、

Thunderbolt先生はまだ高いし、僕みたいなもんには未知数なんで、USBチョイスです。

 

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13 1月 ’14 mileblog

「脱帽」
2012年の大晦日にしたように、今年も最後の日に合わせて映像を作ることができました。
「続く」という文字で終わった『産土』の続編となる、『産土 ー壊ー』という作品の長尺予告です。
詳細な説明は今は省いておきますが、ややもすると忘れてしまう大事なもののことを、想うきっかけに
なったらよいなと思い、敢えてこの日に見れるよう、ちょっとだけ頑張ってみました。
(それにも増して大変な本編の編集作業が残ってはいるのですが…)
僕自身は編集しながら、不覚にも何度も何度も泣いてしまい、中々捗らなかったです。
12月に山梨県早川町で『産土』の上映を終えた後、
自分の無力さ、非力さについて悔いました。
「なんかの答えがあると思って来たのですが、厳しい現実を再度突きつられた」という
声も頂戴しました。
自分がこの地域のことをとりあげても、なんの解決にもならないではないか。
上映を終わった人々の顔に、なんともいえぬ悲しさのようなものが漂っているな、と。
自分自身は前作、悲観を土台に製作しませんでした。むしろ楽観すらしていたといっていい。
おそらくは東京の空気を引きずる、現実を知らぬ若造と外国人の或種の陽気さがあったかもしれない。
たとえば、久高島の秘祭・イザイホーを「もう終わってしまったこと」と敢えて言い、
きっと復活するだろうということを暗に匂わせたつもりでした(僕はそう感じたのだから)。
が、そこに「希望」を読み取れた方はどれくらいいたでしょうか。
福島を回ってから軽度の鬱のような状態になり、まったく癒えない疲れを引きづって、夕べには室戸の太陽を見れば、
明日には敦賀から日本海を望むような生活をしてみて、どこにも逃げられないような感覚に襲われました。
産業道路や高速道路や、バイパス付近の風景はどこも異様に似すぎていて
いったい自分がどこにいるのか分からなくなってしまい、あるシラケに似た感情が出て来た。
上映会を終えて、再度袋井市でび撮影後、浜松方面に移動しながら、今の今迄撮影してきた地の神の祭のような原始的な信仰がありながら、その当日に、老人を否む中年の夫婦の罵声や、パチンコ屋や、着飾った若者達のデートや、享楽にあけくれる日曜日の浮ついた町並みがどうしても耐えられなくなり、吐き気のようなものが出て来て、どうしようもなく車を停めてじっとしていました。町並みが自分の実家のある、四街道市から千葉市へと至るそれに酷似していたことも、おそらくその吐き気の遠因の一つだったでしょう。
目の前の、防波と燃料という役割と、景観美を誇った松林が、海から人を遮断するコンクリートの堤に代替される。
まるで獣害によって電流のとおる電線に囲まれた「人間居住区」に住む山の生活のように。
江戸の大津波から人を救った命山という小さい岡の話しを聴き、最初の取材時にはつくりかけていた「現代の命山」が
2度目にはほぼ完成されて小高い公園として、非力に、かつもっともらしく眼前にある事を知ったけども、
いずれこの遠州の海岸線のかなりの部分が、防波堤に囲まれ、その土はあの山から切り出すのだ、
そしてそこにニュータウンを建設する話しがもうすでに決まっているのだ…といったような話しを又聴き、
なんのために自分はその山向こうの祭や森を切り取っているのか、まったくもって無力ではないかと…。
しかしそれでも、自分は諦めないつもりであります。そう、おぼろげに呟いてみる。
「放射能を『荒ぶる神』だと私は捉える」と、或る福島の女性から聴きました。
幼稚なポジティブシンキング等ではなく、それはもはや祈りの領域です。
そこに、僕自身は希望を見出すことができました。
自分のやり方は、プラカードを掲げてシュプレヒコールをあげることではなく、
映像をつくることしかできないですが、それでも映像の力を信じれるようにはなった。
11月に嫁の父が他界しました。彼は目が不自由で、視界の8割くらいはほぼ見えていなかった。
しかし前作のDVDを僕が渡すと、なぜか毎日亡くなるまでそれに見入ってくれていたようでした。
作り手としては、前作は多いに不満が残るデキです。時間があれば、全部直してしまいたい。
機材の準備も取材そのものの期間も、全部もう一度時を戻してやり直してしまいたい。
が、それでも何かを感じてくれた人がいる。
8月にカナダで上映会をやった時、次作に繋げてくれと円に換金された募金の
一万3000円を手渡されたました。海外にも、僕らの映像を待ってくれている人がいる。
時間も予算も人手も、多いに限られている作品ですが、それが「潤沢にあれば」という発想を
もう捨てようと思います。予算や時間の多寡にかかわらず、これは2013年の僕とその仲間達が、
精一杯やった結果なんですから。僕には視聴率も編成もスポンサーのご意見もないのだから、
自分自身の拙さも含めて、それが「現在」なのだと、腹を括って、笑いたい。
自分に出来ることは、大事だと思う場所に勝手に赴き、帽子を取って「はじめまして」と言い、
「撮らしてくれませんか」と問い、それを映像に納め、世に問いかけること、それだけです。
一つ何かを撮ったことで、また何かを撮らなくてはならなくなる。
撮り残し、撮りこぼし、撮り忘れ、撮りそびれます。それも含めて、自分自身です。
しかし僕には、日本のあちこちに、親のように、祖父や祖母のように、思えるような
人生の師が、たくさんできました。それが財産です。
心配してくれたり、叱ってくれたり、古いものを教えてくれる人々が…。
諦めるということではなく、教えて下さいという気持ちで、僕は帽子をとって
その人たちの想いを傾聴してきた。(無論受け入れられない事もあるが…笑)
ともかく、これはそういう記録です。
そして又これは、予告編にもあるように、神山という小さな町で生じた「縁」で集った仲間が、
「小さな勇気」をだして製作したことを特筆すべき映画です。ほとんど、映画作りの専門家はおりません。
しかし、ここまでには形にする事ができました。
できればこれをご覧になられた奇特な方々にも、ぼくらの仲間になって貰いたい。
まだつくらなくてはならないものが、いくらでもあるのですから。そう願っています。
あと何年続けられるかわかりませんが、
精一杯続けていく覚悟だけは強め乍らの大晦日の晩。
今年もみなさま、たいへんお世話になりました。
(できれば下部のHDボタンをONにし、全画面でご覧下さい)
長岡 参(喪中により、新年のご挨拶と換えさせて頂きます)